ローマ法王訪韓に沸き立つ韓国
ようやく体調が上向いたので、ブログの更新を再開します
ローマ法王の韓国訪問が大きな話題となりましたが、日本のメディアは概して扱いが小さく、韓国で開催されるミサに元従軍慰安婦と称される女性が出席するかどうかを中心に報道されていました
当事者である韓国にとってローマ法王の訪問は実に大きな話題であり、さまざまな報道が溢れ返り、熱狂的とも言える反応が示されました
キリスト教徒が大半を占めるお国柄だけに、その興奮ぶりは当然の反応なのでしょう
そうした韓国メディアのさまざまな反応の中から、中央日報に掲載されたソウル大学教授の、無駄に長いコラムを紹介します
熱狂的な歓迎ムードに流されず、ローマ法王来韓の意義を自省的に問い直そうという試みで書かれた内容です
【コラム】法王が去ったあと大韓民国が迎える朝は
法王が私たちのそばに滞在されたここ数日は幸せだった。穏やかだった。まるで赤ん坊がお母さんのふところに抱かれながら険しい世の中を眺めるように、明るくて安らかだった。心の依託というのは、こんなものなのか。
理性の燭台だけを握っている識者や神は作られたものだと熱心に信じる無神論者は、超越的存在に心を託した記憶がない。だから自身を叱責して理性の欠乏を恨む。
一日と空けずに発生する新しい事件に魂が抜け、あらゆる事が互いに絡み合って大変な紛争に巻き込まれる私たち韓国人の人生ゆえに一層そうだ。あえて無神論者を自認する筆者にとってもフランシスコ法王は違っていた。
貧者の大物、疲れ果てて苦しむ人にまず近寄るその方は、本質から遠ざかったこの時代に、その忘れられた故郷へ帰還する聖者であった。世の中に背を向けたまま自分1人で修養する普通の宗教家とは違い、世事の真ん中で気さくな行動と温和な笑顔を失わず、資本主義の貪欲によどみなく厳しい忠告を与える日常的な賢人だった。
社会的な周辺の人たちから予言者的な証拠を見出すその方の霊性に、歴史と政治を分ける境界が空しく崩れ去った。世界12億人の教徒たちを恩寵の約束に導く聖者の姿勢と動線は、極めて素朴だった。その動線に従って人間中心の新天地に入ったここ数日は、幸せでないわけがなかった。心の憂患を、その方が代わってくれたからだ。
(中略)
法王は、「静かな朝の国」と表現された豊かな文化と悲壮な美学に関する賛辞で訪問記を始めたが、韓国がもはや静かな国ではないことを知る。ローマ法王庁から最も遠く離れた極東の小さな国を訪問地として踏み出したのは、韓半島が抱える歴史的経験の普遍的意味のためだ。過去150年間に人類の歴史を沸き立たせた異種の激流が1カ所に集まって渦巻いた場所、多くの人がその渦流を解決する勇気と心の安息地をカトリックに求めたという事実は、韓半島が持つ格別の地位だろう。
朝鮮は比類なき「迫害の地」だった。2万人の信者が斬首された。朝鮮は「苦難の地」だった。帝国統治に36年間、苦しんだ。韓国は「分断の地」だ。200万人の死傷者を出しても民族は離れてしまった。韓国は「奇跡の地」だ。灰の中から最高の経済の奇跡を作った。迫害、苦難、分断、奇跡の激流を全て体験した国が、地球上のどこにあるだろうか。19世紀末、静かだった朝の国が世界の現代史を彩ったあらゆる激変を痛烈に体験するだろうと誰が推察できただろうか。
そのような地で数百年生きてきた韓国の善男善女に希望を持てと話した人は何人もいたが、異郷の万里から訪ねてきた法王が発した単語が、より胸に深々と打ち込まれるのはどうしたことなのか。
香り高い言葉、美しい文は偉大な文学以上だった。絶望の解毒剤は法王自身であり、法王の手ぶりや表情、行動、そして温和な笑顔そのものだった。セウォル号遺族たちの涙が、法王の懐の中ではじめて昇華された。失業者や未就業青年、老弱者、病人や障害者の痛みが彼の手助けでひそかに消えうせた。
苦痛を受けるこのすべての人々の現存を聖母に託すその瞬間、法王と庶民は恩寵の世界で抱き合った。祝福に違いなかった。祝福の化身が私たちのそばにいらっしゃったここ数日は、だからこそ幸せだったし穏やかだった。
ところで、必ずこうしなければならなかったのか。異郷の万里から訪ねてきた方に、私たちの内部問題までも託して涙を流さなければならなかったのか。必ず彼の言葉と懐を借りて私たちの怒りを鎮めなければならなかったのか。
社会を導く政治家、宗教家、名望家、知性人には期待できない言葉を彼から聞きたがるほどに私たちの精神世界は貧しかったのか。
彼は分断の地、葛藤する現実に平和と和解のメッセージを残して離れた。グローバル化によってばらばらになった分裂の傷を、連帯の実践で治癒しろとの伝言を残して離れた。永遠の治癒は、私たちのこととして残る。ここ数日、法王に託した心を返してもらう朝、何をするのかを自分自身に問う。不明確だったその宿題が、もう少し形体を表わしてきたようだ。
ミサでは従軍慰安婦問題について特段の言及もなく、ミサの場を借りて日本批判を展開しようと企てていた韓国側の思惑は失敗に終わったと言えます
そもそもカトリックの精神は許すことであり、「恨み続ける」ことを根本とした韓国の精神風土とは真逆です(朴槿恵大統領は就任式で日本を千年間恨み続ける、とまで公言していました)
一説ではローマ法王がミサに参加した自称元従軍慰安婦の女性らに対し、「許す」よう求めたとの話もあります。まあ、それで何かが解決するとも思えませんが彼女たちにすれば、日本への恨みつらみを語ることで(元従軍慰安婦を演じ続けることで生計を維持してきた)手前、ローマ法王が何を求めたのかさっぱり理解できなかったと思います
さて、ローマ法王が去った後、韓国にどのような変化が起きるのでしょうか?相変わらずの対立と混迷、対日批判の繰り返ししかないと予想しますが
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