酒鬼薔薇は「命の大切さを知らない」とする誤解
またしても書いている途中に文章が全部消えてしまったので、最初から書き直しです。本当にこのウェブリブログの使い勝手の悪さには呆れてしまいます
が、愚痴をこぼしても何の解決にもなりませんので、粛々と書き直します
神戸の連続児童殺傷事件(1997年2月から5月にかけて発生したもの)に関する報道が散見される折り、当時の報道の論調に大いに違和感を覚えたことを思い出し、取り上げます
当時の報道の中には、「いまどきのこどもたちは命の大切さを知らないから、こんな残虐な事件を起こすのだ」との見解や、「おとなしいこどもがある日突然キレて残虐な事件を起こす」との決め付けが見られました
そんな世間一般の風潮を受け、学校教育の場でも「命の大切さを教える授業」が行われたりしています
ちょっと古くなりますが、2012年に女性セブンに掲載された記事を紹介します
ゴッドハンド医師 酒鬼薔薇事件で「命の大切さを教えたい」
「こどもたちに命の大切さを教えよう」とする医師の意気込みは大いに評価できるところです
しかし、「子供たちが“キレる”ことが問題になっていました。子供はみんな幸せになりたいと願っているはずなのに、なぜ、こんな不幸な事件が起こるのか。大人が真剣に考えなければならない、大人が働いている現場を見せたら何かを感じとってくれるのではないかと考えたんです」との説明は、上述した当時のメディアの論調そのままです
神戸の連続児童殺傷事件についてはさまざまな解釈があるのですが、上述したような「突然キレる」とか「命の大切さを知らない」といった解釈は事件の根幹を読み誤ったものでしかなく、より重要な要因を見落としています
思春期特有の性にまつわる葛藤を抜きにしてこの事件は語れないのであり、そこをすっ飛ばして「キレる若者」とか、「命の大切さを知らないこども」と決めつけるのは事件を矮小化するものでしかありません
もちろん、上記の記事にある医師を責めるつもりはなく、時間の経過とともに事件は風化してしまい、根幹に関わる重大な事実もうやむやになってしまうのは仕方がないとも言えます
しかし、単なる印象だけで事件を語るような真似はしてほしくないとの思いもあり、それがブログで「事件を考える」として私見を披露し続ける所以です
事件の経緯や、犯人であった少年のその後について関心を抱かれる方は是非ともWikipediaの「神戸連続児童殺傷事件」を御覧ください。こうした膨大な情報の集積こそ、インターネットの利点でしょう
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