「物語論で読む村上春樹と宮崎駿」を読んで1

最近読んだ本の感想をブログに書こうと思いつつ、実現できないままです
今夜は時間がありますので、大塚英志著「物語論で読む村上春樹と宮崎駿」(角川書店)を読んで思ったあれこれを書き綴ろうと思います
この本の中で大塚は、「村上春樹は『スター・ウオーズ』のように語っている」と指摘し、創作の根幹にある物語の構造がハリウッド映画と同じものであると説明しています
こうしたハリウッド映画的物語論は世界各地に存在する神話とも共通しています
言い換えれば現代の小説にしろ映画にしろ、その多くは「主人公が旅立ち、さまざまな試練を得て元の世界へ立ち戻る」という普遍的な神話の構造を踏襲し、語り直されていると解釈できるわけです
まあ、こうした指摘自体は珍しいものではなく、文学を語る上でも、テレビゲームを語る上でも必ず付け加えられる説明です
さらに、物語の構造を読み解く行為は、精神分析という技法にも応用されており、個々人が物語の中に何を託し、何を託し損ねたかを解き明かす過程を介して神経症の治療につながると考えられています
前置きが長くなりました
ここからは大塚が語る「海辺のカフカ」についての見解を取り上げます
大塚は「海辺のカフカ」を母体回帰の物語とし、カフカ少年が本当に成長したのかと疑います
小説は2つの次元に大きく分かれ、エディプス神話部分の象徴的な父親殺しはナカタさんが引き受け、カフカ少年は母親と見なされる佐伯さんとセックスし、元の世界へもどろうと決意するところで終わります
大塚は物語の構造があるだけで語られるべき中身が欠如していると指摘し、エディプス神話の葛藤の先に展開されるであろう物語を描かなかった村上春樹を批判します
ただ、小説はすべての顛末を語るべきものであるとは限らず、物語の行方を読者に委ねるのも1つの選択肢です。カフカ少年がこの先どう生きるのか、「紅の豚」のポルコ・ロッソがどうなったのか、克明に描く必要はありません
中身がない物語である「海辺のカフカ」がなぜ多くの読者を惹きつけたのか、中身のないアニメである「風の谷のナウシカ」がなぜ多くの視聴者を魅了したのか、考える必要があります
患者の語る物語の構造を読み解く精神分析においては、語られた物語より語られなかった物語の方をしばしば重要視します。これは空白だらけの物語と言い換えることもできます
人が語ろうとして語り得ない部分にこそ、大事な秘密が隠されていると考えるのです
それゆえ人は空白だらけの物語に惹かれ、魅了されるのも頷けます
克明に語られる一分の隙もない物語より、空白だらけの物語の方が人々の好奇心を刺激し、想像を掻き立てるのですから

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