市川團十郎の密葬で暴走する芸能レポーター

歌舞伎役者市川團十郎が亡くなり、葬儀は密葬という形で行われたそうです
しかし、そこへ乱入した芸能レポーターの振る舞いに関係者が激怒した、とサイゾーウーマンが記事にしています

市川團十郎さん密葬現場で、“暴走”してしまったベテランレポーター

故人と親交があるのをよいことに勝手な振る舞いをして咎められた、という内容です。厳粛な葬儀の場であり、密葬という形で芸能マスコミを排除した形で執り行っているにも関わらず、会場内に入って遺影をカメラに収めようとする行動はあまりに不謹慎でしょう
武藤まき子は1945年生まれだそうです。分別をわきまえた年齢のはずであり、このような暴挙に出るのは「自分なら許されて当然」との思い込みがあるからなのでしょう
「芸能レポーターごときが思い上がって」と批判されるのも当然と言えます
さて、ここまでが話の前振りで、本題はここからです
十二代市川團十郎が亡くなり、息子の市川海老蔵が十三代團十郎を襲名するのは確実なのですが、事件を起こしたばかりの海老蔵ですから襲名は時期尚早と言われるはずです
歌舞伎界の長老たちの反対を押し切って團十郎襲名を強行するわけにはいきません
「芸に精進した上で」と条件が付されるのは当然で、襲名はあと10年くらい先ではないか、と思います
市川海老蔵は酔っ払うと、「オレは人間国宝だ」と口走っていたそうで、これは前にも当ブログで取り上げました
歌舞伎界を代表する團十郎の名で人間国宝になる、というのが一族の悲願なのでしょう。しかし、その期待を背負った十二代團十郎も66歳で没してしまいました
白血病との闘いで役者生活にブランクが生じていなければ、人間国宝に推挙される可能性はあったと考えられます
さて、歌舞伎といえば「伝統芸」と形容されます。が、これは決して正しい見方ではありません
江戸時代の歌舞伎は伝統芸などではなく、極めて現代的で世俗的な芝居だったわけです。一部は能楽から翻案した演目もありましたが、ほとんどは江戸時代に創作された演目です
それが時代を経て「伝統芸」と呼ばれるようになっただけです
七代目團十郎は江戸時代に、歌舞伎の代表的な演目「歌舞伎十八番」を定めた人物です。多くの新作の演目が舞台にかけられる歌舞伎の世界では、「歌舞伎十八番」の名を与えられた演目も人気がなければ演じられる機会もなくなり、台本すら散逸してしまったそうです
「歌舞伎十八番」の名前こそ残っているものの、十八の演目のうち大半はすでに演じられなくなっているのが実情です
ならば團十郎襲名を目指す海老蔵には新たな「歌舞伎十八番」を設け、「勧進帳」や「助六」に並ぶ新作歌舞伎を演じてもらいたいものです
伝統的な演目の再演だけでなく、大胆な新作に挑んでこそ、団十郎の名に相応しい活躍だと思う次第です

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