歌舞伎中村玉三郎 人間国宝に

人間国宝といえば、市川海老蔵が暴行事件の折に「オレは人間国宝だ」と口にしていたと報じられ、ちょっとした話題になりました
歌舞伎の名門に生まれ育った御曹司として、「将来は市川團十郎の名を継ぎ、人間国宝になれ」と周囲から言われ続けてきのでしょう
歌舞伎の世界で名優とされる役者でも、そう簡単に人間国宝(重要無形文化財保持者)になれるものではありません
今回、文化審議会は歌舞伎女形の中村玉三郎を人間国宝に指定するよう文部科学大臣に答申した、と報道されています

玉三郎さん人間国宝に 狂言の山本東次郎さんも 文化審議会4人を答申

市川海老蔵とは違い、歌舞伎役者の家の生まれではない中村玉三郎は養子という形をとって歌舞伎界入りしています
中村玉三郎については以前にも書いたところですが、簡単に要約しておきましょう
中村玉三郎は小児麻痺の後遺症で足の動きが不自由であったため、リハビリのため日本舞踊を学んだという努力の人です。女形としては背が高すぎて他の役者とバランスが取れないと批判されたため(173センチ)、立ち姿で演技をしたり舞うときは膝を曲げ、実際の身長より15センチくらい低く見せる工夫をしていると聞いたことがあります
しかし、歌舞伎界一の女形と言われた六代目中村歌右衛門から手厳しい批判を浴び、人気の割には歌舞伎界での地位がなかなか定まらなかったとも言われます
ちなみに六代目中村歌右衛門は生涯女形を演じた人で、歌舞伎と舞踊だけに取り組み、映画やテレビドラマに出演しようとはしませんでした。だからこそ、歌舞伎だけでなく映画や現代演劇に出演する坂東玉三郎を許せなかったのかもしれません
さらに付け加えると、中村歌右衛門も生まれつき足に障害があり、数度の手術を経てようやく歩けるようになったという経緯があります。当代一の女形と言われながらも終生、その左足の動きは不自由だったと言われますから、小児麻痺を克服した玉三郎の努力を一番理解していたのは歌右衛門だったのかもしれません
こうした努力によって到達した中村玉三郎の境地に、市川海老蔵が到達できるのかは疑問ですが、歌舞伎界にとっては朗報なのでしょう
昨年(2011年)にはテレビの時代劇「鬼平犯科帳」で長谷川平蔵を演じてきた中村吉右衛門が人間国宝の指定を受けています
中村吉右衛門の人間国宝指定を、市川團十郎と市川海老蔵の親子は複雑な心境で受け止めたのだろうと想像されます
歌舞伎役者としての家の格式では市川家の方が上なのですから

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