女子高生が同級生をナイフで刺す 高野山高校の続報
今年の6月、高野山高校の特進クラスに在籍する女子生徒が同級生をナイフで刺す事件があり、当ブログでも取り上げました
事件の詳細や寮生活の実態など、当時の報道ではつかめなかった部分が産経新聞の特集記事で明かされていますので、再び言及します
“特進コース”女子高生、同級生を刺した理由
特進科クラスは全校でも10人ほどであり、事件があった学年には3人の生徒しかおらず、刺した生徒と刺された生徒も一般の学生寮とは別の、民家を借り上げた寮で生活していたと書かれています
寮母がいて彼女たちの面倒を見ていたそうですから、家庭的な雰囲気を特色としていたのでしょう
寮の中では騒音を巡って諍いがあったものの、寮母や教師の介入で和解していたとあります。ただ、これは教師や寮母の手前もあって和解したフリをしていたに過ぎず、不平や不満が心の中に鬱積していたと見て間違いないでしょう
記事の中で京都大学医学部の十一元三(といち・もとみ)教授(児童青年精神医学)が、「少年の重大事件では、事前に周囲が小さなサインに気付かず、事件発生で問題が表面化する」とのコメントを寄せています
イジメ問題にしろ、自殺にしろ、「サインを見逃すな」と常に指摘されるところですが、これが実に難しいのは教育現場や心理臨床の現場に勤務した経験者なら心当たりがあるはずです
特に思春期の少年少女は自らの心情を率直に打ち明けようとはしません。教師が彼女たちの思いを把握するのはなかなか難しいのです
しかし、教育関係者と接していると、教師たちが自らの経験を過大評価し、「自分は生徒たちを理解している。把握できている」と過信しがちだという懸念を抱きます
教育学というのはとてもに人工的な学問で、そこでは個々の生徒を理解し、把握するのを前提とはしていません。それよりも教育課程(計画)に従って授業を進めるのを重視します
そのため生徒が毎日授業に出席していれば、心の中にどのような嵐を抱えていようと関知しない傾向が生じるのです
少人数教育を実践する高野山高校がどうであったのかは分かりませんが
他方でこうした生徒の心情把握の重要性を説くと、かならず「過保護だ」とか「甘やかしすぎではないか」との意見が出ます。「もっとビシビシと鍛えるべきだ」とですがそんなにビシビシ鍛えたところで、ロボットのような従順な大人が出来上がるだけであり、それが教育の理想だとは思えません
あるいは他人の心情を推し量ろうともしない、こどもの悩みやとまどいも理解できない無神経な大人が出来上がるだけでしょう
事件はあくまでもナイフによって傷害行為に及んだ女子生徒の責任ですが、彼女の突飛な行動のせいにして終わらせてしまったのでは事件の意味を読み違えてしまうだけです
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