佐世保の小6女児殺害発生から8年 「マナーで人の心、優しく」
2004年、長崎県佐世保市の小学校で6年生の女子児童が同級生の首を切りつけ殺害する事件が発生し、社会を震撼させました
あの事件から8年が経過し、小学校ではいのちを見つめる集会が開催されたと毎日新聞地方版が記事にしています
佐世保の小6女児殺害:発生から8年 「マナーで人の心、優しく」 大久保小でいのちを見つめる集会
8年という歳月を経ても被害者家族や学校関係者の気持ちは決して晴れることもなく、なぜこんな事件が起きてしまったのかと、答えが見えない問いを反芻する毎日だったのではないでしょうか?
当ブログでもこの事件について取り上げ、自分なりの考えを述べたところですが、それが唯一絶対の答えというものではありません
事件について誰がどのような考えを披露しようとも、すべての人を納得させられる正解など存在しないと言えます
さて、上記の記事では大久保小学校で児童たちが、「マナーを守ることで人の心が優しくなる」などと意見を発表したと書かれています
この事件と生活の場でのマナーに相関関係があるようには思えませんし、事件の本質には触れずに「マナーを守れば…」と児童に発言させるのが何かの解決に結びつくようにも感じられません
これを誤魔化しだと批判するつもりはありませんが、教育関係者が知恵を絞って「いのちの大切さを教育しよう」と試みても、こうした取り組みしかできないのが現実だと言わざるを得ないのでしょう
この事件は思春期の入り口に立った少女の心の中に吹き荒れた嵐であり、加虐と被虐の入り交じった幻想の果てに殺人という儀式を通過儀礼として体験しなければならないとの思い込みに駆られた挙句の犯行だったと自分は考えます
身体の成長とともに、こどもたちは思春期の中で激しい感情の起伏、衝動といったものを経験し、ともすれば自分でそれをコントロールできない事態に直面する場合もあるわけです
こうした思春期の嵐は誰もが経験するのですから、学校教育で触れないというのも不可解な話です。学校関係者にすれば「保健体育」の授業で扱うべきだとか、「道徳」の授業で扱うべきだとかの議論になってしまいそうですが
「マナーの大切さ」を教えるのが悪いとは言いませんが、小学6年生の児童に思春期の嵐について教えるのも必要だと自分は思います
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