日本人はなぜ議論ができなくなったのか
ライブドアのコンテンツに「200万人が読む、ウェッブ上の論壇誌」と題された「BOLOGS」という、各界著名人から無名の論客のブログを紹介しているページがあります
その中で、矢澤豊という方が「日本人はなぜ議論ができないか」というテーマで書いています
日本人はなぜ議論ができなくなったのか(前編)
以前にも書いたのですが、日本人は相手がしゃべっているときも最後まで話しを聞こうとせず、相手の発言を遮ってでも自分の意見を語り始めます
日本では国会での論戦もテレビの討論番組でも、それが当たり前になっています
しかし、欧米では相手の話を遮ってまで発言をするのは極めて非礼な態度であり、そのような振る舞いをする人物は論客とは認められず変人扱いされるのがオチです
つまり、日本では政治家、ジャーナリスト、有識者などと呼ばれるほとんどの人たちがまともに議論のできない変人だ、という事実があるわけです
単に議論の仕方というマナーの問題ではなく、およそ議論という仕組み自体に対して何も学ばないまま大人になり、社会人になるからこそ、相手の発言を遮るよう非礼をかましても恥だと思わない文化が形成されて、継承されているのだと思います
小学校教育の段階から、学級会などで意見の表明や議論の仕方を学んでいるではないか、との指摘もあるのでしょう。しかし、その結果がこれだというのなら、やはり議論について体系的な教育が不在なのか、根本的に間違っていると考えるべきです
だからといって小学校の教育を槍玉にあげても問題は解決しません
やはり大人となり、社会人になるまでに、きちんとした議論の仕方を身につけるのが作法だと受けとめ、個人個人が努力するしかないのでしょう
職場に議論が上手な上司、先輩がいればそれを見習う人も出てくるはずです
個人的な経験として、およそ議論の成立しない会議、会合の方が多かったように感じています
そもそも議論など最初から求めていない、結論を承認するだけの会議というのも日本には数多く存在します。そこで議論をおっぱじめようとするのは野暮であり、空気を読めない人間として扱われます
根回しの段階ですべては決定済であり、会議は「皆で議論し、検討して結論を得た」という形にするためのものです。これでは成熟した議論など期待できません
あるいは議論ではなく、感情をぶつける場と化してしまう場になるのもしばしばです
これも以前に書いたのですが、小学校の会合で児童の母親が「先生が特定の子をひいきしているのはけしからん」と告発し、泣き出す場面に遭遇した経験があります
先生の愛情を受け損なったわが子に感情移入し、まるで自分のことのように感極まって泣き出すのですから、議論にもなりません
この母親が求めているのは議論ではなく、自分の感情を慰めてくれる他の保護者の賛同(共感)であり、教師の謝罪なのでしょう
ある意味、感情むき出しの態度であり、議論以前の問題です
泣き落としも戦術の1つではありますが、大人の議論する態度としてはいただけません。泣き落としがまかり通るのなら、物事の本質に対する議論はスルーされ、感情に訴えるパフォーマンスだらけになってしまいます
もちろん議論の方法に唯一絶対の正解というものはなく、泣き落としだろうが人格攻撃だろうが何でもありで、ともかく勝てば良いのだとする立場もあります
しかし、そんな奇手奇策に依存するような人間は信用を失うでしょう。「話にならない」と蔑まれるだけです
上記のブログでは「相手に共感する知的想像力が大切」だと指摘されていますが、これもまた難しい方法です
自分は精神分析をかじっている人間なので、相手の主張に耳を傾けつつもそうした論旨が生み出された背景、人生観、経験などについて考えたりします。しかし、議論の席で相手の人生観や経験について憶測を述べると、相手は必ずというくらい激怒し憤慨するのが常です。誰しも自分の内面には不用意に触れられたくないものであり、そうした行為は人格攻撃だと受け取られるためなのでしょう
共感を示すつもりが、かえって相手の感情を害する結果を招く場合もあるわけです
ですからどのような形であれ、議論を成り立たせるのは実に難しいと常々感じているところです
願わくば中学校の教育の中で、現代哲学の2つの潮流である現象学と構造主義の初歩くらいは教えておいてもらいたいと希望します
議論すべき問題について、現象学的方法による理解に基づいて議論を組み立てるのか、構造主義的理解に基づいて議論を組み立てるのか、はっきりと使い分けができるようになれば、議論はもっと実りあるものになるでしょう
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