セレブ妻バラバラ殺人を考える6 三橋歌織受刑者の現在

夫を殺害しその遺体を切断して捨てた三橋歌織受刑者の事件について、これまで5回ほど取り上げました
日刊ゲンダイの記事で、この三橋歌織受刑者を取り上げた本「セレブ・モンスター」の著者である橘由歩の語りを紹介しています

「いくらのぞいても歌織の心の中は空っぽなんです」

しかし、「ノンフィクション」と謳っている割には、その内容はライターの独断と偏見で綴られているように思えてなりません
そもそも三橋歌織受刑者はモンスターなのでしょうか?
この事件の裁判で、歌織受刑者は夫による暴力を一貫して訴えてきました。しかし、検察は「夫による暴力は大したものではなく、自分の犯罪(夫殺害)を正当化しようと歌織被告が持ち出したもの」だと切り捨て、事件を離婚協議のもつれから夫を恨んで殺害するに至ったものだと、きわめて単純な動機にすり替えてしまいました
ですが、この事件の意味はやはり夫の暴力を抜きには考えらない、というのが当ブログで開陳してきた自分の主張です
こうした自分の見解からすれば、フリーライターの橘由歩もまた、事件を読み誤っている1人に見えてしまいます
フリーライターの橘由歩は以下のように語っています

「実は被告人質問が始まった当初、はかなげな彼女が語る、夫から受けた鼻の骨を折るなどの凄まじい家庭内暴力話に同情したんです。しかし、よくよく聞いていくと話は矛盾だらけ。途中で、彼女は哀れなヒロインでいるんだな、と思いましたね」

つまり、歌織受刑者は虚言癖があり、嘘を並べて「悲劇のヒロイン」を演じている過ぎないとの先入観で取材を進めたのが分かります

「彼女は夫の暴力を理由に離婚しようと思ったと主張していましたが、結局のところ自分の意思で戻っているんですね。さらに、一般的にDV被害者は無気力になるのに、彼女は夫に対し強気でさえあった。なぜか。彼女が〈被害者の優位性〉に気づいたからではないでしょうか。ワタシは可哀想な被害者、だから暴力の対価として夫の金を自由に使って当然という発想ですが、根っこにあるのは怒りです。その被害者意識が怒りを増幅させ、すべてを正当化してきたんです」

もう言ってる内容が支離滅裂です。「夫の暴力を理由に離婚を考え歌織受刑者が、自ら夫のところへ戻っている」から、夫の暴力というのは嘘だと言いたいのでしょうか?
DVの被害者が夫の暴力から逃れようと家を出たものの、「おまえがいないとオレ、駄目なんだ」とか、「もう殴ったりしないから戻ってきてくれ。頼む」といった甘言にほだされて夫のところへ戻るケースはよくあります。そしてさらなる夫の暴力の餌食になってしまう場合も。
このフリーライターは本当にDV被害者を取材した経験があるのでしょうか?
夫の暴力を受けながらも逃げ出せず、離婚にも踏み切れず、身も心も縛り付けられている女性の気持ちがまったく理解できていないようです。そんなフリーライターがDVを語るのは間違いでしょう
そもそも被害者の優位性ってなんでしょうか?
「ワタシは可哀想な被害者、だから暴力の対価として夫の金を自由に使って当然という発想ですが、根っこにあるのは怒りです」と記事にありますが、いったいどんな理屈なのでしょうか?
理解不能です
夫を恐れ、憎みながらも離れられないというダブルバイトの状態を読み誤っているようにしか思えません

「こんな結果を招いた一番大きな要因は彼女に情緒が育っていなかったことだと思います。情緒は、幼少期においしいね、楽しいね、など大人からの働きかけによって身に付くのですが、歌織にはそれがなかった。だから、彼女の心を必死でのぞいても空っぽ、何も見えなかったんです。たとえ暗くてもそこに沈んでいる何かがあれば周囲の声が届きます。でも彼女の心は、声が引っかかるものを何も持ち合わせていませんでした」

頭の悪い発言が続きます。そもそも何をもって、三橋歌織受刑者の心のなかが空っぽなのだと決めつけているのか、理解できません
むしろ、三橋歌織受刑者の中には言葉にならない叫びが溢れかえっていたと思うのですが。裁判でも彼女は自分の訴えが周囲に通じないもどかしさ、苛立ちを覚えたと推測されます
「夫の暴力によって自分はひどい目に遭った」から同情してもらいたいのではなく、自分の痛みを誰かに分かってもらいたかったのではないでしょうか?
離婚を決意して一度は実家に戻った歌織受刑者ですが、彼女の父親も娘の心情を理解できるような人物ではなく、暴力で物事を解決するような父親でした。そんな父親に自分の気持ちを分かってもらおうとしても無理だと諦め、歌織受刑者は夫のところへ戻り、そして事件が起きています
周囲に理解されない孤立感の末に、「夫を殺すしかない」と思いつめるに至るわけですが、だからといって歌織受刑者の心の中が空っぽだったと決めつけるのは随分な話です
精神分析は無意識を読む方法ですから、沈黙や拒絶、放心、夢など、言語化されない意思を相手にします。およそ心の中が空っぽという人物に遭遇した経験はありません
知的障害者であれ、精神障害者であれ、その心の中はさまざまな叫びで溢れています
このフリーライターは「聞く耳を持たない人物」なのでしょう。あるいは自分の先入観に自ら囚われてしまい、取材対象を見誤っているように感じます
ノンフィクションと謡いながらも、これではライターの作文でしかありません
いまではすっかり使われなくなってしまいましたが、一時期日本で「アダルト・チルドレン」という概念が大いにもて囃されました
アルコールや麻薬依存の親、あるいは暴力的な親の元で育ったこどもに見られる情緒障害を指す概念ですが、三橋歌織受刑者はこの「アダルト・チルドレン」に該当するように思えます
このフリーライターは三橋歌織受刑者に会っても、そう感じたりはしなかったのでしょうか?
もちろん、情緒障害者だからといって、心の中がからっぽであったりはしません

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