32人を射殺したヴァージニア工科大学事件 その2
ヴァージニア工科大学で銃を乱射し、32人を殺害たチョ・スンヒの事件について、続きを書きます
チョ・スンヒが「場面緘黙症」と「うつ病」との診断を受けていた件は前回書きました
しかし、「うつ病」の患者が銃を乱射して32人も殺害する事件を起こし得るのかは疑問です
チョ・スンヒは大学のスポーツジムに通い、マシンを相手にトレーニングに励んでいました。それは体を鍛えて復讐を実行するためなのですが、そんな健康な「うつ病」患者がいるとは思えません
事件を「精神障害だったから」と片付けるのはあまりに底の浅い見方でしょう
チョ・スンヒが作家志望であり、小説もどきの文章を書いていたとされます。中身はこどもへのレイプ、近親相姦、暴力などなどに満ちあふれたものだったとされ、創作の授業を受けていた学生たちがチョを気味悪がり、彼を避けるようになります
周りから避けられ、嫌われ、差別され、迫害されているとチョは思い込んでいたようですが、実際はその逆です
「自分はおまえたち(裕福な白人学生)と違うのだ」との主張をそうした言動をアピールしていたのだと推測されます
自分だけが繊細な感覚によって社会の欺瞞を見抜き、白人たちの奢りを鋭く感じ取り、間違った世の中に対する怒りを身の内に秘めている・・・と、中二病患者のような過剰な自己愛で充ち満ちていたのでしょう
チョ・スンヒは教授や学生によって自己愛を傷つけられていると思い込み、彼らへの報復に踏み切ります
チョ・スンヒが残したビデオのメッセージを、前回も片田珠美著「無差別殺人の精神分析」(新潮社)から引用します
オマエたちがオレの心を汚辱し、オレの魂をレイプし、オレの良心を燃やした。オマエたちは、ただの哀れな青年の命を滅ぼしたと思っているだろう。オマエたちに感謝するよ。オレはイエス・キリストのように死んでやる。か弱く、そして無防備な人々を奮い立たせるために。
オマエたちにオレの気持ちが分かるというのか。顔にツバをはきかけられ、自分で自分の墓を掘り、クソみたいなものを押し付けられるこの気分が!
生きたままで火にあぶられるこの気分が!
十字架に串刺しにされ、辱めるを受ける気分が!
オマエたちの慰みのために血を流して死ぬ気分が!
ご承知のようにイエス・キリストは人々の罪を贖うために自ら十字架にかかったのであり、これを辱めであったと考えるキリスト教の信者はいないと思います
ですから「十字架に串刺しにされ、辱めるを受ける気分」という記述は明らかにチョの創作でしょう。彼がそうしたレイプ体験を彷彿とされる被虐的なイメージを心の中に抱いていたのだろう、と推測されます。おそらく虐待、レイプといった暴力的なセックスにまつわる幻想(彼の描いた小説の世界がそうであったように)に執着する何らかの原因があったのでしょう
つまり少年時代、英語の発音をからかわれたりいじめられた体験は実際にあったにせよ、彼の中の被虐体験はおそらく幻想によって脚色されたものであり、想像の産物ではなかったか、と考えるのです
ですからチョ・スンヒは「うつ病」ではなく、統合失調症でもなく、妄想性の人格障害ではなかったのか、と推測します
最後にこのヴァージニア工科大学とコロンバイン高校の事件ですが、自分は似て非なるものとして扱うべきだろうと思います
学校内で銃を乱射する犯行こそそっくりですが、アメリカ生まれでアメリカの中流家庭育ちのコロンバイン高校事件の犯人と、韓国生まれでアメリカ育ちながらも社会から疎外され続けた(と本人が思い込んでいる)チョ・スンヒでは人生観も価値観も大きな違いがあり、共通項を見つけるのは困難なほど遠く隔たっているのではないでしょうか?
彼らの間に何らかの共通する思想があるわけではなく、銃を乱射して教師を同級生を殺す事件の暴力性に惹かれ、共感しただけなのでしょう
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