32人を射殺したヴァージニア工科大学事件 その1
先の記事でヴァージニア工科大学で32人を射殺したチョ・スンヒについて触れましたもう少し詳しく書きたいと思います
手許にある本、片田珠美著「無差別殺人の精神分析」(新潮社)のチョ・スンヒに書かれた部分を参考にします
事件の概要については以下のウェッブサイトをご覧ください
チョ・スンヒは1999年にアメリカで起きたコロンバイン高校乱射事件に影響を受けたと言い残しており、多くの生徒を巻き添えにして最後は自殺する、という犯行のスタイルはコロンバイン高校の事件を模倣したと言えるでしょう
チョ・スンヒは韓国で生まれ、アメリカでの成功を夢見る両親に伴われて8歳のときにメリーランド州に移り住んでいます。ここではチョの親戚がクリーニング業を営んでおり、英語がしゃべれないチョの両親はこの店で働き始めます
その後一家はヴァージニア州に引っ越すのですが、チョ・スンヒは英語の発音をからかわれたのをきっかけに、学校ではまったく口を利かない無口な生徒になっていました。そして彼が15歳のとき、コロンバイン高校の銃乱射事件が起きます
このときチョは「コロンバイン高校の事件を繰り返したい」などと書いたプリントを学校で配布しています。無口な生徒が突然、銃の乱射事件を真似たいと言い出したのですから、騒ぎになったのは理解できます
学校がチョに精神科の受診を勧め、両親がチョを病院へ連れて行きます。診断結果は「うつ病」と「場面緘黙症」(特定の場面で発言できず、沈黙してしまう症状)でした
英語の発音で馬鹿にされて以来、チョは周囲に対する憎悪を膨らませ、「不当に迫害され虐げられている自分」というイメージを抱くようになったのでしょう
だからこそ、銃を乱射して生徒や教師併せて13人を殺害したコロンバイン高校事件に共感し、ある種のあこがれを抱くようになったと思われます
ハイスクール時代には英語の発音をからかわれるチョに特別な配慮がされ、教師と1対1の個別授業を受けています
その結果良好な成績を納めたのですが、成績良好という事実がかえってチョの特異性、危険性を隠蔽してしまったとも言えます
成績が良好でも周囲を憎悪し、自分は迫害されているとの思いは消えなかったのですから
ヴァージニア工科大学へ進学したチョは親許を離れ、寮生活を始めます
しかし、寮の生活にも大学にも馴染めず孤立を深め、同時に周囲への憎悪を膨らませた結果、銃の乱射事件を起こします
大学進学後、チョは作家になりたいと志向し、文学関係の講義に出席したり、小説めいたものを書いたりしています。自分の内面にある憎悪や敵意を小説という形に昇華させようと企図したのでしょう
「なぜ事件を防げなかったのか?」との問いが出てくるのは当然ですが、誰もチョ・スンヒが抱え込んでいた憎悪や敵意を理解していなかったのですから、防ぎようがなかったのはやむを得ないところです
次回はもう少し、チョ・スンヒの内面世界について言及したいと思います
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