「攻撃と殺人の精神分析」を読む2

6月に取り上げてから随分と間が開いてしまいましたが、片田珠美著「攻撃と殺人の精神分析」について、続きを書きます
263ページからフロイトが宗教を、「幻想にすぎない」と考えたのはなぜか、という論考が展開されているのですが、同時に「幻想」と「妄想」の違いについても述べています
振り返ると自分はこのブログの中で、必ずしも「妄想」と「幻想」を厳密に区別して記述せず、その時々に思うまま「妄想」と書いたり、「幻想」と書いたりしてきました
本来、厳密に区別して扱うべきものだと、あらためて考えさせられました
たとえば殺人を犯した人間が、「妄想」を語っているのと「幻想」(ファンタジー)について語っているのとでは大きな違いがあります
何が「妄想」で何が「幻想」であるか、その弁別については本書の定義しているところに必ずしも賛成はできないのですが
昨日取り上げた大阪の育児放棄による幼児殺害の事件ですが、逮捕された母親ついては、「こどもをほったらかして自由奔放に遊び回っていた」と報じられています
確かにその通りなのですが、そうした行動の意味を精神分析の側から考えるならば、また別の見方ができるのです
彼女の一見、自由奔放に見える行動に駆り立てた衝動は何だったのでしょうか?
若くして結婚し、育児をする羽目になったから、「遊びたい」との衝動を抑えきれなかったという見方もできます
しかし、精神分析の側から見れば彼女の行動は、ラグビーのことしか頭に無く自分を愛さなかった父親を誘惑しようとする意味があったと考えられます
父親を魅了し、父親を挑発し、父親を誘惑しようとする衝動が彼女をして、夜遊びやホストクラブ通いという行動に走らせたのだ、と
それは近親相姦的な願望というより、「父親に愛されなかった娘」という彼女自身のトラウマであると言えます
家庭よりもラグビーを優先する父親の身勝手さを意識レベルでは批判し、敵視していたと思われますが、無意識レベルでは「父親に愛されなかった娘」である自分が悔しくて許せないという無念がわだかまりとして存在していたと考えられます
ホストクラブ通いにのめり込んだのはそんな心の内奥に抱え込んだ無念を晴らし、「父親に愛される娘」になろうとするためですが、彼女自身そんな自覚は持っていなかったはずです
自分が何を求めているのか分からないまま衝動に翻弄され、享楽的な行動へと駆り立てられていたのでしょう
こうした内奥の意識されない念慮を、この場合は「妄想」ではなく「幻想」と呼ぶべきでしょう。「父親に愛される娘」という幻想を彼女は追いかけ、道を踏み外したのだと
もちろん、この見解は検証されたものではなく精神分析上の仮説です

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