「自分探しよりも師匠を探すべし」と言うけれど

「WEB本の雑誌」が「自分探しより師匠を探すべし」という記事を配信しています


確かに幕末ブームということもあり、幕末の著名な人物に注目が集まっているのでしょう
しかし、「自分探しより師匠を探すべし」と言われたところで、その実現は甚だ困難なのではないでしょうか?
せいぜい、怪しげな自己啓発セミナーにはまって大金を巻き上がられるくらいでしょう
自分の場合、仕事上の世話になった先輩が何人かいますが、師匠と呼ぶような関係ではありません
強いて挙げるとなれば、フランスの精神分析家ジャック・ラカンが師匠と言えます
もちろん、直接の面識などなく、文献を読んで接しているだけの関係です
とはいえ、ラカンは驕慢な人物として有名であり、とても友達にしたいタイプではありません
それでも過去に1度だけ、ラカンの夢を見た経験があります以下のような夢です

大きな階段教室にびっしりと人がいて、自分はその中程、演壇の正面に座っていました
演壇にはラカンがいて、手振り身振りを交えてしゃべっていました。ラカンが自分に向けて質問を発し、その内容はまったく聞き取れなかったのですが、鋭い視線を前に訊き返すこともできない雰囲気でした。自分はおっかなびっくりフロイトの夢の機能に関する自分の解釈を語りました。ラカンはとても満足そうにしていました

この夢についてはさまざまな解釈ができるのですが、1つは自分がラカンの精神分析をどれだけ理解出来ているのか自信がなく、その裏付けを求めていたと言えます
夢から醒めても、しばらくの間は幸福感に浸っていました。自分の理解が正しいと承認されたと感じたためです(あくまで夢の中の話ですが)
そんなラカンの師匠というのは、ルドルフ・レーベンシュタインです。レーベンシュタインはフロイトの弟子であり、精神分析の主流派に属していた人物です
ロシアの領土だったポーランドに生まれたレーベンシュタインはユダヤ系であり、スイスに移住して医師の資格を取得します。その後ドイツからフランスに移住しますが、フランスで
開業するため、あらためて医師の資格を取得しなければなりませんでした。そしてフランスでラカンら何人もの分析家を育てた後、ドイツのフランス侵攻から逃れるためアメリカへ渡り、アメリカで医師の資格を取得しています
その分析力は天才的とされ、豊富なイマジネーションで患者の発言を受け止め解釈して見せたと言われます
しかし、ラカンとレーベンシュタインはそりが合わなかったようで、ラカンの教育分析が十分なものであったか、後々まで疑いがもたれています
ですが、それはレーベンシュタインがラカンを放任したからであり、その結果ラカンはフロイト派に反旗を翻すような独自の理論を構築する方向へと進むことになった言えます
レーベンシュタインが手取り足取り熱心に指導したなら、精神分析家ジャック・ラカンは誕生しなかったのでしょう
弟子を放任し、何も教えないという姿勢が優れた弟子を生む例でしょう
後年、ラカンはレーベンシュタインらフロイト派を徹底して批判するのですが、そうした論争も精神分析発展の役に立ったと考えられます
ですから上記の記事の「本来の『師』というものは、もっと密着したものです。しかも自分が選ぶもので、生活を共にし、全人格的に影響を受け、生涯にわたる関係を築き上げるものです。だからこそ、師をどう選ぶかは、とても重要なことでした」とあるのは、いささかロマンに溺れて過ぎているように感じられます
師弟関係が相思相愛のベタベタしたものであるべきとは限らず、弟子が師匠を打ち倒すような緊迫した関係こそ理想なのかもしれません
それは子が親を超えようとする営為とも似ています
とは言え、自分がラカンを超えるど思いもよりませんが



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