「日本の非歴史性が問題だ」と書くPJニュース
PJニュースというのはパブリック・ジャーナリスト(市民記者)による、市民主体型のジャーナリズムを目指す組織だそうですが、そのためか時折理解不能な変な記事が載ります
今回取り上げる「日本社会の非歴史性が問題だ」と題する記事もその典型です
長い割に何を言いたいのかさっぱり分からない記事なのですが、要するに日本は過去の歴史を反省しないからダメ、と主張したいのでしょう
書いている人物は、「日本社会の非歴史性を主張するためには、一義的には日本社会の特徴から非歴史的性質を示せば十分である」と、何か鬼の首でも獲ったつもりになって指摘しているのですが、まったく噴飯物の考えです
「日本社会の非歴史性」とはそもそも何を意味しているのか、定かでありません
「日本人は過去の歴史について反省が足りない」と書けば、まだその言わんとしているところが明らかなのですが、日本社会を問題視しているのか、日本人を問題視しているのかさえ、曖昧です(おそらく記者の頭の中でも整理されていないのでしょう)
そして唐突にアメリカでの冤罪事件を例に挙げます。冤罪事件がいったいどう関係しているのか、飛躍しすぎてワケワカメ状態です
独善的な議論の組み立てが実に気持ち悪く感じられます
そして過去の歴史を反省する南アフリカの「真実和解委員会」なるものを突然、大絶賛します。南アフリカの「人種隔離政策(アパルトヘイト)」の真実を明らかにし、白人支配層に反省させようとする狙いは、それはそれとして評価できるでしょう
しかし、そんな「真実和解委員会」なるものを現代の日本に設置する意図は不明です
そんなものを設置しろと主張するのは、左翼政治集団のプロパガンダ以外のナニモノでもありません。中国か韓国の手先となっている人物の主張でしょう
戦後に日本の歩みは過去の反省に立ったものであり、いまさら「真実和解委員会」なる奇妙な組織をでっち上げて何をするつもりなのか、そちらの方が気になります
秘密裏に行われてきた犯罪の被害者を特定し、自己の巻き込まれた犯罪についての真実を明らかにし、被害者の人間的・市民的な尊厳を回復する真実和解委員会の試みは高く評価されるべきものである。
勿論、真実和解委員会の方式にも批判がある。最大の問題は加害者を恩赦してしまう点である。真実和解委員会の調査対象は、人道に対する罪と重なり、不処罰を許さないとする原則に反すると強く批判される。この点は真実和解委員会の限界である。
要するに過去の犯罪行為(おそらく朝鮮人の強制連行とか、従軍慰安婦問題など)を解明し、関わった人間を処罰せよと言いたいのでしょうか?
そしてたとえその犯人が既に亡くなっていたとしても、墓を暴いて死体にムチを打て、と言いたいのかもしれません。こうした墓を暴いてでも処罰せよ、という主張は中国人や朝鮮人に見られる特徴でしょう
委員会という名称の、とんでもなく恐ろしい超法規的な人権侵害組織を設置せよと言うわけです
革命期のソ連や中国に存在した超法規的な「〇〇人民委員会」を彷彿とさせます
この点だけでも記事の主張の異常さは明らかです
さらに記事の中では、「焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むことしかできない性質」などという奇妙なフレーズが繰り返し使われています。この文言を記者は大いに気に入っているのか、4度も使っています
しかし、あまりに独りよがりすぎて苦笑するしかありません
ライブドアのニュースサイトではこの記事に対する反論のコメントが寄せられています
すごく独りよがりな文章のように思えます。「焼け野原から経済大国にしてしまうような」ってフレーズが気に入ってるみたいですけど、読者からすれば読みにくくしてるだけ。何を意図してこんな長ったらしいフレーズを使ってるのかわかりません。「過ぎたことにこだわらない」って本当にそうか? 加えて、過去を明らかにすれば、「日本社会が様々な問題を抱えている」状況が脱却できると言われてもピンとこない。たとえば? サッコ・バンゼッティとか真実和解委員会の例を出すよりもそっちの具体例を聞きたいのだが。
擁護する意見もありますが、記事本文と同様意味不明な擁護です
この記事に書かれてることを論理的に汲み取ろうもせず、ただただ罵るだけのネット右翼が今後の日本を担っていくのかと思うと悲しくなる。韓国と比較してばかりなのもそうだ。賢者は歴史から学ぶ。
記事書かれていることを論理的に汲み取れと言われても無理でしょう。こんな意味不明な記事から論理的に汲み取れる人がいたとすれば、それは記者と同類の人間でしょう