愛子様不登校問題 毎日ご通学
産経新聞の報道によれば3年生になられた愛子様は新学期、毎日通学されているとのことです
当ブログで繰り返し取り上げている問題ですが、解決の方に向かっているのか気になります。現時点で判断するのはまだ早いのでしょう
さて、愛子様の不登校問題について一部のメディアは「こどものわがまま」であり、それを許している皇太子夫妻はけしからんと言わんばかりの報道をしていました(週刊朝日など)
そうした見方がいかにズレたものであるか、繰り返し指摘したところです
第一に不登校という社会現象ともなった問題について、根本的に理解が不足していると言えます。ひどく捻じ曲がった見方をしていると言ってもよいでしょう
不登校の背景にある家庭や学校、本人の問題をまったく見ようとせず、本人のわがままだとか親のエゴだと決めつける態度です
小中学生の不登校が問題視されるようになって四半世紀は経っているわけですが、いまだに「こどものわがまま」という見方しかできない記者がいることに驚きます
数々の不登校のケースに対する研究、実践、議論という積み上げられてきた成果を無視して偏見と憶測のみで語るという暴挙です
第二にこどもの行動を軽んじる態度です。「泣いたカラスがもう笑った、ということになる」と発言する学習塾関係者のコメントが記事にありましたが、この発言に如実に現れています。「こどもは気まぐれで、理由もなく泣いたり拗ねたりするから、いちいち心配などする必要はない」などという誤った認識に立った学習塾の人間がいる事実に驚かされます。実業家として三流であり、教育者として五流以下でしょう
上記のような誤った認識を抱いている一人が学習院の院長である、という事実にも呆れましたが
こどもが泣いたり拗ねたりするのには一つ一つ理由があり、原因があります。もちろん軽微な理由であったりもしますが、「こどもは単純で気まぐれだから真剣に向き合う必要などない」と公言する人物が教育産業に従事しているのですから、言う言葉もありません(その割に執拗に攻撃しているわけですが)
さて、愛子様の心情は正直はかりかねるものの、敢えて推測してみましょう
今回の事態の背景にあるのは、愛子様が自分の立場(皇太子家の長女)というものについて戸惑い、不安を抱いておられるところから発しているように思われます
誰しも自分が何者であるのか、自問自答しながら成長し、自分というアイデンティティを確立して行くというのが一般的なモデルです
しかし、その過程は平坦なものではなく、数々の波乱があります。「こどもは単純で気まぐれだから真剣に向き合う必要などない」と考える大人たちには理解できないと思いますが、こうしたアイデンティティの確立を巡る葛藤は小学校低学年時にも存在します
愛子様も自分の立場について皇太子夫妻から縷々聞かされているのでしょうが、だからといってそれを納得し、受け入れ、自分のアイデンティティの一部として取り込むのはまだ先です。思春期後期まではさまざまな葛藤に見舞われるでしょう
こうした葛藤を内に抱えているからこそ、大人の目から見れば些細な出来事でも、愛子様にとっては大きな不安として現れる可能性はあります
自分は何者なのか、自分はどこへ向かっているのか、自分はどのように見られているのか、自分はどう振る舞えばよいのか、などなど不安と戸惑いのタネはいくらでも湧いてきます
怒ればよいのか、笑えばよいのか、泣けばよいのか、そもそもそれが自分に許されるのか、という葛藤も生じます
自分が「こどもらしく振る舞っていればよい」という立場ではないとの自覚があればこそ、悩まなければなりません
こどものわがままだと、頭の悪そうな記事を書いている週刊朝日の記者は、こうした内面の葛藤など想像もできないのでしょうが
自分の場合、精神分析による理解を基調にしていますので、心の内奥にある不安を重視してしまう(軽視できない)ため、このように考えます
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