なぜわが子を傷つけるのか2 生まれ育った環境

引き続き、こどもへの虐待の問題を取り上げます
元になっているのは産経新聞の【なぜわが子を傷つけるのか】という特集記事です


世間一般の反応として、「こどもを虐待している人間は、親に溺愛されて育った世代ではないか。甘やかされ、やりたいことをやらせてもらえ、欲しい物を買ってもらい、好きなものを食べ、親の愛情を一身に受けて育ったから、他人の痛みも分からず、わが子が言うことを聞かないと我慢できずに暴力を振るってしまうのだ」と結論づける人が少なからず存在します
しかし、それは個々の虐待事件を精査した上で述べているのではなく、メディアによって流布されている「戦後の豊かな環境で育った世代」にまつわる幻想を吟味もせずそのまま受け売りしているだけです
つまり事件を見ようとせず、漠然とした印象を語っているにすぎません
豊かな家庭でも、貧困家庭でも虐待は起こり得るわけで、物質的な豊かさとは別次元の問題であると考えなければなりません
さらに「親の溺愛」という表現も、その中身を考証した上で使うべきです
「溺愛」と表現されても、中身はこどもを支配し隷属させる関係であるかもしれません
あるいは、一個の独立した人格としてこどもの存在を認めず、ペットのように扱っているだけなのかもしれません
「溺愛」と表現される成育史でも、細かく検討すればまったく違う実態が見えてくる場合があるのです
あるいはよく使われる「子煩悩な父親」という常套句も、中身を精査する必要があります。こどもに愛情を注いでいるのか、過干渉でこどもを縛り付けているのか、外から眺めているだけでは判別がつきません。「子煩悩な父親」=「素晴らしいお父さん」とは断言できないのです
先入観にとらわれず、事実関係を見据えた上で親子関係、生育環境を考えなければ「虐待」の実態は見えてきません
以前、別のテーマでハンナ・スィーガル著「「クライン派の臨床」(岩崎学術出版社)に書かれている屍姦空想を持つ男性の臨床例を紹介しました

島根女子大生遺棄事件を考える31 屍姦という行為

「貧乏人の子だくさん」という家庭に育った男性は、末っ子であったため兄や姉の玩具という扱いを受けました。おそらくは眠いときでも弄ばれて寝かせてもらえなかったり、構ってもらいたかったときには放置され無視されたりする経験があったと思われます
その結果として男性は他人への共感性に乏しく、自分勝手な立ち振る舞いの目立つ大人になりました
自分がセックスしたときは夜でも恋人を呼びつけ、恋人の到着が遅れれば殴りつけ、セックスが終われば夜中でも部屋から叩きだす、というありまさです
こどもを殴り殺す事件に登場する若い男性のイメージを彷彿とさせます(だから虐待を繰り返す男性がそのような成育上の背景をもつ、と決めつけるのは尚早です)
重要なのは虐待されて育つこどもは感情を抑圧し、自分にも他人にも無関心で、情緒的な結びつきを理解できず尊重もしなくなる、ということです
彼ら、彼女らが大人になったとき、こどもと接する際に情緒的な結びつきが理解できないため、一方的な働きかけに終始しがちです。こどもの欲求を理解せず、暴力で支配し、従わせるという対応しかできないのです
しかし、これはあくまでも問題を整理して考えるためのモデルであり、個人個人の抱える負因と、その結果として表出する行動(こどもへの虐待)については個別に検討していかなければなりません
「いまどきの若い親たちは甘やかされて育ったから他人の痛みも分からない」などという、表層的な社会論では虐待問題は読み解けません

(関連記事)
こどもへの虐待を考える 我が家の教育方針
子連れ婚の虐待防げ(朝日新聞)
こどもの虐待死 刑罰が軽すぎる
なぜわが子を傷つけるのか 新聞の特集記事を読んで


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新曜社
A.ミラー

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