心の持ちようで人生が変わるというウソ
4月になり、新入社員として職場に足を踏み入れた人もいれば、学生として大学生活を始めた人もいて、3月よりは何か新鮮な感じがする毎日を過ごしておられる方も少なくないと思います
メディアもこの時機、新入社員向けにさまざまな人生訓、処世術を説く報道をします
「プレジデント」の記事で、「驚くほど効く『心のギアチェンジ』~前向きな脳をつくる『かもの法則』」というのが目に付いたので取り上げます
長い記事ですが、要約すればネガティブ思考では人の能力は伸ばせないからポジティブ思考でいきなさい、というものです
どこかで読んだような内容を切り貼りしてつなぎ合わせたような主張であり、整合性に欠けています
例えば、「企業には、『(1)言われたこともしない人』『(2)言われたことをする人』『(3)言われたこと以上のことをする人』の3種類の人間がいます」と書いていますが、これはひどいこじつけです
企業には本当にこの3種類の人間しかいないのでしょうか?
「言われたことをやったり、やらなかったりする人」や、「特定の上司の指示には従うが同僚の依頼は無視する人」とか、さまざまな人間が企業の中にはいるはずです。話を単純化するため3種類に限定列挙しているのでしょうが、企業にはさまざまなタイプの社員がいるのですからこんな思考は役に立ちません
ポジティブ思考がなぜ駄目なのかは以前にも説明しました。逆にネガティブ思考を切り捨てるような「自己啓発セミナー系」のやり方が駄目な理由も挙げました
手短に書くと、人間は他人に対して妬みを覚えたり恨みを抱いたり、怒りを覚える生き物です。そうした感情を「負の産物」として否定し、捨てるべきだとこの筆者のような自己啓発系能力開発業者は主張します
しかし、恨みや妬み、怒りの何が悪いのでしょうか?
学校の成績で負ける悔しさがあるから人は勉強に励むわけです。あるいは成績優秀な人間への憧れや嫉妬があるから、少しでも近づこうと努力するわけです
嫉妬や怒り、羨望は人間を行動へと駆り立てる原動力であって、否定すべきものではありませんし、捨てるべきものでもありません
裏表のある職場の同僚への怒りがあるからこそ、表裏なく振る舞おうと務めるのではないでしょうか?
妬みや怒り、不安があるのならそれを否定などせず、自分の一部として向き合うべきだと考えます
記事の筆者はスポーツ選手の指導もしているようですが、勝利のイメージや勝利の喜びだけを追い求めるポジティブ思考で本当に強くなれるのか、疑問です
スポーツ選手の場合、「失敗したらどうしよう」とか「負けたら批判されるのが怖い」などの恐怖が根底にあり、捨てろと言われて簡単に捨てられるものではありません
こうした恐怖が心身を萎縮させ、実力の半分も出せずに惨敗する結果につながります
むしろ自分が心の中に抱いている恐怖がどのようなものであるかを探り、恐怖の由来やその正体を明らかにする方が有効だと、精神分析を信奉する自分は考えます
恐怖や不安の正体が分かれば、それに悩まされる程度はぐっと軽減されます
不安を抱えている自分を否定するのではなく、不安を抱いている自分をそのまま受け入れられるようになります。不安を抱きながら、それでもやってみようと思えるようになります
「心の持ちようで人生が変わるから、ポジティブ思考で行こう」と叫んでいる人が実際にいるわけですが、空回りしているように見えて仕方ありません
心の持ちようで人生は変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません
変わらないからといって人生が無駄だと決めつける必要はないはずです。生きるに値しない人生だと断定する必要などないはずです
誰かと勝ち負けを競うために生きているわけではないのですから
人は何事かを達成できるかもしれませんし、何も達成できないのかもしれません
何も達成しなかったとして、それが無駄な人生であったと言えるのでしょうか?
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