性同一性障害の学生に男性名で卒業証書授与 山梨県立大

大学入学時から自分の女性という性に違和感を覚えていたと述べる山梨県立大学の学

生2人に対し、本名とは異なる「男性名」で卒業証書が授与された、と時事通信が報じて

います
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010032601035

短い記事ですし、個々の学生については何も書かれていないので詳細は不明です

個人情報保護の観点から詳細を明かさない大学側の態度は分からないではありません

が、やはり疑問は残ります

埼玉県内の小学校で男子児童を「女子」と扱うことにしたという報道があり、当ブログで取

り上げました。思春期前の段階で「性同一性障害」だと診断し、そのように扱うのが適切

なのかという疑問からです

今回のケースはどうでしょう。大学入学時に女性という自分の性に違和感があったと記事

にあるだけで、具体的なエピソードは触れられていません

大学側は最大限、本人の言い分を尊重したのでしょう。しかし、性同一性障害であるかど

うか、学校側は診断を下す立場ではありません

就職という節目を前に、「男性として就職したい」と本人が望んだためとも考えられます

男女で雇用の差を設けてはならないという建前はありますが、それでも男性として就職す

る場合と、女性として就職する場合とでは現実に大きな違いがあるため、大学側が本人

の意向を尊重し、「男性としての卒業証書」を渡したのでしょう

前にも述べたようにこの問題は単に「男性であるか、女性であるか」という性別選択の話

ではなく、人生の選択に関わる話です

男性という性の自分を受け入れて生きていくか、女性という性の自分を受け入れて生きて

いくか、という話です

そうであるからこそ慎重な判断が必要なのですが、部外者があれこれ口を出し辛いのも

事実です。「安易に性の変更は認めるべきではない」と主張しても、本人の苦悩を代わり

に引き受けることなどできないからです

性を変更するにせよ、しないにせよ、その苦悩は本人しか背負えないのですから

学校にしろ、社会にしろ、まだまだ性の変更を受け入れる仕組みは整っていませんし、受

け入れる感覚そのものも欠如している状態です

そうした社会の対応が立ち遅れたまま、性の変更に踏み切る人が増えているのですから、

今後ますます混乱が広がるのかもしれません。「社会の体制が整うまで待て」とは言えま

せんから、我々自身がその考え、感覚を変更していかなければなりません

男女雇用機会均等法でも大いにモメたのですが、今度は性差を越えた雇用機会均等法

を整備しなくてはなりません

同時に、18歳もしくは高校卒業まではモラトリウム期間とし、性の選択猶予を設けるべき

かもしれません。小学生のうちから「性同一性障害」だと決めつけるのが望ましいとは思

えないので

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緑風出版
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