愛子様不登校問題 学習院の無責任さ

「犯人探しは望ましくない」との意見はあるものの、「何があったのか?」を探る以上は「誰がやったのか?」という話になります
学習院側はこども同士の他愛もない事柄だと事態を極力矮小化し、ささやかな問題であるかのように強調していますが、本当にそうだったのでしょうか?
J-CASTニュースがこの辺りを記事にしています


こうした「困ったチャン」の代表格は、小2なのに身長140センチもあるA君だそうで、相手構わず暴力をふるったり、「校内では、『ファック! シット!』などと放送禁止用語を叫びながら、走り回っていた」(文春)というのだ。

「それくらいの問題児はどこの小学校にもいる」と書くのは簡単ですが、学校がどう対処しているかが事案の本質であり、そちらに注目しなければなりません
会見やら週刊誌の記事を見る限り、学習院側の発表はすべて自分たち大人の側の視点で語られており、生徒の視点から問題を考えようとする姿勢が欠如しています
昨日も書きましたが、「こどもの不安は不安として受け入れる」ところから物事は始まるわけで、それを大人の視点から「大した問題ではない」と言い切ってしまう姿勢に疑念を感じます。こどもたちが何を思い何を感じ、何を考えるのかが重要なのであって、教師が上から目線で何事かを語る行為に価値などありません
ましてや教育現場に立たない理事などの役職者が、「大した問題ではない」などと発言するのは愚の骨頂です
初等科の生徒たちの行動を見ようともせず、彼らや彼女らが何を思い、何を考えているのか知ろうともせず、何を不安に感じているのか察しようともせず、「大した問題ではない」と言ってのける面の皮の厚さには辟易します
まるで自分の責任を問われるのを恐れ、釈明に釈明を重ねる小役人のようです
「教育現場で起きたことはすべて私たちの責任です」と、なぜ言えないのでしょうか?
事なかれ主義、責任の転嫁、そして「こどもの間のできごとは当事者間で解決すべき」との発言まで学習院側から飛び出してきます
ならば学習院の教師は何のために存在しているのかと問い詰めたくなります
教科指導だけが仕事というなら学習塾の講師を呼べば十分です
「教育現場で起きたことはすべて私たちの責任です」と言い切るだけの気概、自負がなくて何が教師か、と・・・
プロの教育者として根性を見せろや、と言いたくなります

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