ボロボロと泣きながら読んだ本 一枚の写真
水俣病の和解協議が始まったという報道があります
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100130-00000028-mai-soci
若い方は水俣病と聞いてもピンとこないかもしれません
自分は水俣病と聞くと一枚の写真を思い出します
http://www.k2.dion.ne.jp/~terui/his/28smith.html
右の写真「トモコとお母さん」は現代の聖母子像と呼ばれ一枚です
チッソという企業が有機水銀の混ざった排水を海に流し続けた結果、そこで獲れる魚
介類を食べてきた地元の人たちは水銀による中毒症状が広がりました。生まれてくる
こどもたちの中にも水銀中毒による脳性麻痺に蝕まれるケースもありました
この写真はそんな自分の娘を風呂に入れる母親の姿を撮ったものです
撮影した写真家はユージン・スミス。当時、チッソは抗議に押し寄せる住民を排除する
ため暴力団を雇ってました。その様子を撮影していたスミスも暴力団に襲われ、カメラ
を破壊されたほか、脊椎損傷と眼球破裂により片目を失っています
スミスは取材のため水俣に住み込み、患者家族と交流を深める中で撮られた写真が
「トモコとお母さん」です
写真を公開するには患者家族の側にも葛藤があったのですが、この1枚が水俣病の
被害を世界に知らしめたと言えます
現在、写真のモデルとなった家族の申し出により、この「トモコとお母さん」は非公開と
いう措置になっています。「もう休ませてやりたい」という家族の思いによって
写真家ユージン・スミスの評伝「楽園へのあゆみ」を買い求め、帰りの電車の中で読
み始めたとき、ボロボロと涙が止まらなくなってしまいました
特に水俣取材のくだりは
ユージン・スミスは戦争カメラマンとして売り出したのですが、沖縄戦取材時に砲弾の
破片を浴び、その破片はすべて摘出することはできず体内に残り、生涯彼を苦しめ
続けたようです。鎮痛剤の乱用、過度の飲酒、コカイン使用もこの傷のためだったの
でしょう。59歳という早すぎる死でしたが、体はもうボロボロだったと思われます
ユージン・スミスは撮影したフィルムに暗室で徹底的に手を加え、一つの作品に仕上
げる作風でした。そのため「報道写真に修正を加えるのは不適切だ」との批判を浴び
続けた写真家です。しかし、まぎれもなくそれが彼の表現方法だったわけです
デジタルカメラで誰もが手軽に写真を撮れる時代になりましたが、ユージン・スミスの
作品にはプロならではの凄みがあります。それは彼が砲弾の破片に蝕まれた体を引
きずりながら、命がけで撮り続けた一枚一枚だからなのでしょう
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100130-00000028-mai-soci
若い方は水俣病と聞いてもピンとこないかもしれません
自分は水俣病と聞くと一枚の写真を思い出します
http://www.k2.dion.ne.jp/~terui/his/28smith.html
右の写真「トモコとお母さん」は現代の聖母子像と呼ばれ一枚です
チッソという企業が有機水銀の混ざった排水を海に流し続けた結果、そこで獲れる魚
介類を食べてきた地元の人たちは水銀による中毒症状が広がりました。生まれてくる
こどもたちの中にも水銀中毒による脳性麻痺に蝕まれるケースもありました
この写真はそんな自分の娘を風呂に入れる母親の姿を撮ったものです
撮影した写真家はユージン・スミス。当時、チッソは抗議に押し寄せる住民を排除する
ため暴力団を雇ってました。その様子を撮影していたスミスも暴力団に襲われ、カメラ
を破壊されたほか、脊椎損傷と眼球破裂により片目を失っています
スミスは取材のため水俣に住み込み、患者家族と交流を深める中で撮られた写真が
「トモコとお母さん」です
写真を公開するには患者家族の側にも葛藤があったのですが、この1枚が水俣病の
被害を世界に知らしめたと言えます
現在、写真のモデルとなった家族の申し出により、この「トモコとお母さん」は非公開と
いう措置になっています。「もう休ませてやりたい」という家族の思いによって
写真家ユージン・スミスの評伝「楽園へのあゆみ」を買い求め、帰りの電車の中で読
み始めたとき、ボロボロと涙が止まらなくなってしまいました
特に水俣取材のくだりは
ユージン・スミスは戦争カメラマンとして売り出したのですが、沖縄戦取材時に砲弾の
破片を浴び、その破片はすべて摘出することはできず体内に残り、生涯彼を苦しめ
続けたようです。鎮痛剤の乱用、過度の飲酒、コカイン使用もこの傷のためだったの
でしょう。59歳という早すぎる死でしたが、体はもうボロボロだったと思われます
ユージン・スミスは撮影したフィルムに暗室で徹底的に手を加え、一つの作品に仕上
げる作風でした。そのため「報道写真に修正を加えるのは不適切だ」との批判を浴び
続けた写真家です。しかし、まぎれもなくそれが彼の表現方法だったわけです
デジタルカメラで誰もが手軽に写真を撮れる時代になりましたが、ユージン・スミスの
作品にはプロならではの凄みがあります。それは彼が砲弾の破片に蝕まれた体を引
きずりながら、命がけで撮り続けた一枚一枚だからなのでしょう