島根女子大生遺棄事件を考える20 正常と異常の境目
発見された被害者の遺体の一部から油の成分(遺体を燃やそうとして使用したと見られる灯油かガソリン)が発見されたとか、ビニール袋の断片が見つかったなど報道されています
しかし、ビニール袋がよほど特別な店のものでない限り、犯人を特定する決め手にはならないでしょう
さてこの事件の犯人については遺体をバラバラにして捨てるという行動から、変質者や異常な人間だとする見方があります
しかし、どこで異常か正常であるか、線引きするのは難しい判断です
法律に反しているから、倫理に反しているから、反社会的な行動だから異常だと断定する考えもあるとは思いますが、果たしてそれだけでよいのか疑問です
法律や犯罪心理学や精神医学だけが異常か正常かを判断する基準ではありませんし、裁判官が職権で有罪か無罪かを判定しても世間が納得するとは限りません
中世ヨーロッパでは正常か異常かを判断するのは聖職者の役割であり、キリスト教会の特権でしたが、現代の裁判所にはそれだけの権限や権威はありません
こうした形式的な判断だけでなく、異常か正常かを実質的に判別するのもなかなか困難です。世の中をすべて「勝ち組と負け組」や「イエスかノーか」とか、「賛成か反対か」など単純に二分する考え方を二元論といいます
こうした二元論は一見明快な主張のように見えるため多用されているのですが、世の中のすべての事象が単純に「勝ち組と負け組」に二分できるはずはありません
勝ち組でもない、負け組でもない中間域に位置する人が大多数を占めるからです
同じように正常か異常かの判断も、その中間域に位置する多くの人をどう識別するかが難しいのです
妄想を抱いているから異常だとは断定できません。妄想を抱きつつも現実検討能力を保持し、社会生活を送っている人もいます。逆に妄想などなくても現実社会から逃避し、引き篭もっている人もいます
殺人は違法行為ですし、遺体を切り刻むのも人倫に反する行為ですが、そうした行動をする犯人が社会の一員として目立たず暮らしている可能性もあります
余談ですが、精神障害を持った人と会話をした経験がある方なら彼ら彼女らがもたらす違和感を覚えておられるはずです
一見、理路整然と話をするようでも実はあちこち破綻しており、辻褄が合わなかったり、些細なエピソードに執着して何度も繰り返し語ったり、感情の起伏が激しかったり、逆に感情の鈍麻が見られたりします
こうした特徴は会話だけでなく、実生活の中でも観察されます。つまり社会適応して暮らしているように見えて、どこか破綻していたりちぐはぐだったり、同じ行動を延々と繰り返したりするのです(精神障害のある方を貶めたり、差別する目的で例を挙げているのではありません。犯罪としての正常と異常の境目を問うのが目的です)
上記のような観点で今回の事件を眺めれば、そのようなちぐはぐな印象は皆無のように思えます
ずさんな犯行で数多くの証拠を残すような真似はせず、犯行が目撃されない場所や時間帯を選び、犯人を特定するような遺留品も現場には残していません
極めて整然と犯行を進めているようで、破綻している箇所(うっかり証拠を残すミス)もないようです(発見された被害者の靴が拉致の際に脱げ落ちたのか、後日犯人が置いたものか判然としないので除外します)
もちろん犯人がまともな人間だとは思えませんし、犯人を賛美する意図もありません
ただ、破綻のない犯行を計画し、実行する能力を持っていることは間違いなさそうです
この事件についてはブログで取り上げた数も増えましたので、直近のリンクだけ掲げておきます
島根女子大生遺棄事件を考える10 フェティシズム
島根女子大生遺棄事件を考える11 事件の相違点
島根女子大生遺棄事件を考える12 殺人者の語り
島根女子大生遺棄事件を考える13 ホラー映画
島根女子大生遺棄事件を考える14 片方の靴
島根女子大生遺棄事件を考える15 顔見知り犯行説
島根女子大生遺棄事件を考える16 空き家で犯行
島根女子大生遺棄事件を考える17 迷宮入り
島根女子大生遺棄事件を考える18 学生の事情聴取
島根女子大生遺棄事件を考える19 プロファイラー起用
島根女子大生遺棄事件を考える21 陰謀説・サイコ説
ラカン、バルトと並ぶ構造主義の四天王ミシュエル・フーコーは中世の異常者たちについて興味深い論考を展開しており、コレージュ・ド・フランスの講義の中で取り上げています。一般向きではありませんが、紹介しておきます