「磯野家の謎」 漂流する漫画・アニメ批評
漫画やアニメーションについての批評が注目される機会はあまりありません
漫画本やDVDの購入のためなら惜しみなく金を払うが、金を払ってまで批評
を読むつもりはない、というのが世間一般の反応です
もちろんそれも無理からぬところで、漫画やアニメーションの批評はサブカル
オタクの趣味と見なされたままの状況が続いています
しかし、まともな批評(作品論や作家論、そして読者論など)が存在しない世界
に優れた作品は存在しません
批評の形式はとらなくても、インターネットの掲示板やブログが作品の質を問
う機能を果たしているのだと思います
さて、かなり前になりますが「磯野家の謎」という本がベストセラーになりました
この本は批評ではなく、作品の矛盾点や作者の思い違いをついて楽しむスタ
イルでした。その後、有名な漫画を対象に薀蓄を語りつくすような本の出版が
相次ぎましたが、批評が確立されるには至りませんでした
そうした経緯については下記のウェッブサイトがまとめを載せています
http://www.yk.rim.or.jp/~h_okuda/wwf/isono.htm
このウェッブサイトを読み、何よりうれしく思ったのが天沢退二郎の「宮沢賢治
の彼方へ」に言及しているところです
作品世界の向こう側へまで至ろうとする天沢の営為に感動しつつ、読みふけっ
た記憶があります
ぼくは作品の彼方へ行きたい。だれも行ったことのない、宮沢賢治の作品の彼
方を見るのだ。これからぼくが少しずつ書き継いでいこうとする試論は、けっし
ていわゆる宮沢賢治論ではなく、賢治作品に新しいあるいは正確な解釈を施そ
うとするものでもない。ぼくのいや誰の解釈が正しかろうと独断・誤解であろうと、
賢治作品は作品として存在し、存在する以外のことをしていないのだから」(天
沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』引用はちくま文庫版)
この天沢の意気込みはある種の青臭さや気恥ずかしさとともに、鮮烈なたたず
まいを自分に見せつけてくれたからです
誰にも遠慮することなく、堂々と作品や作家を語っていこうとするすがすがしさと
でも表現すべきでしょうか
自分もまた、かくのごとくありたいと思うのです
漫画本やDVDの購入のためなら惜しみなく金を払うが、金を払ってまで批評
を読むつもりはない、というのが世間一般の反応です
もちろんそれも無理からぬところで、漫画やアニメーションの批評はサブカル
オタクの趣味と見なされたままの状況が続いています
しかし、まともな批評(作品論や作家論、そして読者論など)が存在しない世界
に優れた作品は存在しません
批評の形式はとらなくても、インターネットの掲示板やブログが作品の質を問
う機能を果たしているのだと思います
さて、かなり前になりますが「磯野家の謎」という本がベストセラーになりました
この本は批評ではなく、作品の矛盾点や作者の思い違いをついて楽しむスタ
イルでした。その後、有名な漫画を対象に薀蓄を語りつくすような本の出版が
相次ぎましたが、批評が確立されるには至りませんでした
そうした経緯については下記のウェッブサイトがまとめを載せています
http://www.yk.rim.or.jp/~h_okuda/wwf/isono.htm
このウェッブサイトを読み、何よりうれしく思ったのが天沢退二郎の「宮沢賢治
の彼方へ」に言及しているところです
作品世界の向こう側へまで至ろうとする天沢の営為に感動しつつ、読みふけっ
た記憶があります
ぼくは作品の彼方へ行きたい。だれも行ったことのない、宮沢賢治の作品の彼
方を見るのだ。これからぼくが少しずつ書き継いでいこうとする試論は、けっし
ていわゆる宮沢賢治論ではなく、賢治作品に新しいあるいは正確な解釈を施そ
うとするものでもない。ぼくのいや誰の解釈が正しかろうと独断・誤解であろうと、
賢治作品は作品として存在し、存在する以外のことをしていないのだから」(天
沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』引用はちくま文庫版)
この天沢の意気込みはある種の青臭さや気恥ずかしさとともに、鮮烈なたたず
まいを自分に見せつけてくれたからです
誰にも遠慮することなく、堂々と作品や作家を語っていこうとするすがすがしさと
でも表現すべきでしょうか
自分もまた、かくのごとくありたいと思うのです