麻原死刑囚の再審請求退けられる

オウム真理教事件で死刑判決を受けた麻原彰晃(54)=本名・松本智津夫=側が申し立てた再審請求について東京高等裁判所は、請求を退けた東京地方裁判所の決定を支持し、麻原死刑囚側の即時抗告を棄却する決定をした、と報道されています


長い裁判が終わってもなお、再審請求で争う姿勢を捨てません。死刑を免れたいとの執念でしょう
多くの人を死に追いやり、その家族を悲嘆のどん底に陥れても謝罪の言葉すら述べず、ひたすら死刑を回避するため法廷闘争を継続する・・・
悪あがきにもここまでくれば醜悪過ぎます
さて、オウム真理教事件の被害者家族の中には麻原の死刑執行に反対する声があります。麻原の死刑が執行されてしまえば、彼の口から事件についての供述を得られる機会が永遠に失われてしまう、との考えによるものです
あるいは麻原の口から謝罪の言葉を聞きたい、と願い続けている人もいて、死刑執行はその機会を奪うものだと主張しています
被害者やその家族の心情について第三者がとやかく言う立場にはないのですが、この問題を考えてみましょう

当ブログでは過去に、精神分析における「喪の作業」について取り上げました
親しい人を亡くした際には時間をかけて「喪の作業」を行い、弔い、別れを受け入れるため気持ちの整理をしなければならない、と
オウム真理教事件の場合、事件の経緯などについては裁判で明らかにされていますが、麻原の口からは事件の目的や動機については語られず、被害者とその遺族は宙吊りにされたような、苛立たしさのまま放置された状態を味わっています。判決がどうであれ、社会学者やジャーナリストの解説がどうであれ、事件の全容が解明されたという気持ちにはなれないのでしょう
オウム真理教の教義がどうとか説明されても納得できるはずはなく、オウム真理教の組織について説明されても理解する気にすらなれないでしょう
結局のところ被害者とその家族は「事件の原因」が知りたいのではなく、「事件の経緯」が知りたいのでもなく、この「事件の意味」を求め続けているのだと思います
麻原が事件について語らないことで、「事件の意味」は宙に浮いたままになっており、それが「喪の作業」を妨げているのだと考えられます

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