映画「イノセンス」について 2
この作品について数年前に書いた感想です。一部手直しして貼り付けました
映画「イノセンス」―押井守が向う彼方へ
2004年に公開された映画「イノセンス」は賞賛も受けたが、さまざまな非難も浴びた。曰く、「原作と違いすぎる」、「画像はきれいだがストーリーが難解すぎる」、「台詞は引用ばかりでオリジナリティがない」など。本稿では上述した観客の反応を手がかりに、映画「イノセンス」をもう一度吟味し、押井守監督の目指すアニメーションについて考えたい
1 原作とファンの反応
「イノセンス」の原作である「攻殻機動隊」は、サイバーパンクと称される前衛的な漫画として登場した
一見して異様なのは、欄外にびっしりと書き込まれた作者士郎正宗による注釈の量である。ストーリーの補完のみならずロボット工学や人工知能など、さまざまな分野に関する注釈で埋め尽くされており、読者は情報量に圧倒される。従来の絵とストーリーだけで勝負する漫画とは異なり、欄外に盛られた情報がディテールを膨らませ、読者の想像力を刺激するのである。この目新しさ、奥深さに魅了され、圧倒されてファンになった人も多いと思われる
ところで前衛的な「攻殻機動隊機動隊」のファンであっても、その嗜好は保守的である。原作コミックやテレビシリーズで確立された作品世界をよしとし、その中を周遊し続けることを楽しみとする
人気漫画にはその作品世界を借りた同人誌が生まれ、模倣(シミュラクール)と消費を繰り返しているのが端的な例である
他方、押井監督は大胆に作品世界を破壊し、書き換え、革新しようと試みる。創作とは世界を壊す試みなのであり、模倣の反復ではない
既存の作品世界を愛するファンと、破壊と創造を試みる作り手との対立・緊張がここに生まれる。原作と異なる世界を提示するのは押井監督の創造力ゆえであり、その破壊力こそが彼の持ち味なのである
2 「イノセンス」は難解なのか
「イノセンス」は愛玩用ロボットによる殺人事件を追い、製造メーカーの悪行を暴く話である
だが劇中の、鑑識係である女性の長い台詞、コンビニエンスストア内での銃撃戦、キムの屋敷で繰り返される悪夢といった仕掛けで、観客は幾度となくストーリーを見失いそうになる。もちろんこうした仕掛は、単に観客を惑わすために盛り込まれているのではない
「イノセンス」は殺人事件の捜査という本筋とは別に、複数のストーリーが交錯する多層構造を持つ映画なのだ
その一つは「人間はなぜ人の似姿である人形を作りたがるのか」との問いに沿った思索であり、もう一つはバトーと少佐(草薙素子)との再会と別れという、いささか風変わりなラブストーリーである
したがって観客はスクリーンを眺めつつ、複数のストーリーを追うよう迫られる。一本の映画で一つのストーリーを追いかけるのを常とする観客には負担である
ストーリーを追い切れず見失ってしまう観客から、「駄作だ。難解すぎる」との反応が生じるのもやむを得ない
であるが、自分が「イノセンス」に惹かれる理由は、この多層的な構造にある。幾つものストーリーを交錯するため、一度見ただけではとてもすべてを把握できず、繰り返し見る度に何かしら新しい発見があるのだ。見る者を挑発する映画であるとも言える
映画を構成する三つのストーリーを織り交ぜながら進行させ、破綻なく結末へと導く演出は押井監督ならではの力技である。ハッピーエンドを頑なに拒むのが押井流であるが、それでもバトーは物語の始まりより少しだけ幸福になっている
劇中でバトーは守護天使と呼ぶ少佐(草薙素子)が自分の傍にいるのを確信できたのだから。まさに「求めるところは少なく、林の中の像のように」ではあるが
かつて公安9課で仕事を共にしていた二人だが、前作で人形使いと呼ばれるネットの中の人工生命体と融合した少佐は葛藤のない超絶的な存在と化し、バトーの手が届かないところにいるのだ
にも関わらず、少佐は事件の発端から一環してバトーの行動を見守ってきた。バトーの危機にはメッセージを送り、プラント船内での乱戦にはハダリの体を乗っ取り参戦する
「バトー、忘れないで。あなたがネットにアクセスするとき、わたしはいつもあなたの傍にいる」と言い残すのは、「あなたとともにある」という告白である
3 引用だらけの台詞でオリジナリティが欠けるという批判
聖書の一節が語られる場面は、これまでの押井作品に見られる。詩的で含意に富んだ表現方法であり、押井作品の魅力の一つでもある
押井監督は「ダイアログ(会話、あるいは台詞)をドラマに従属させるんじゃなくて、映画のディテールの一部にしたかったというのが動機です。ディテールである以上は、それなりに凝ったものでなければならない。一つ一つに足を留めてもいいような陰影のある言葉。可能であれば100%引用で成立させたかった」(一部省略)とまで言い切る
「イノセンス」に触れたファンの中には、メモ帳を持参して何度も映画館へ通い、台詞を書き写す者もいた。出典を探し出し、解説するウェッブサイトまで作った。引用された一節、一句に押井監督がどのような意味、背景を織り込もうとしたのかがインターネットの掲示板で議論された
こうして「イノセンス」がテクストとして取り上げられ、繰り返し論じられる現象こそ、押井監督の意図したところである。「映画は見られることで映画になるのではなく、語られてこそ映画たり得るのだ」と押井監督は指摘している
作り手ならば、一度見られるだけで語りの対象にもならない映画を撮ろうとは考えない。賞賛であれ非難であれ、繰り返し話題にされる映画を目指すのである
「イノセンス」では引用が作品世界の読みを深め、解釈の可能性を押し広げる役割を果たしている
可能ならば、自分は聖書やギリシア悲劇、仏典からの引用で埋め尽された押井作品を見たいと思う。そのときアニメーションは詩のように暗誦され、古典劇のように何度も鑑賞される地位を得るだろう
だが、押井監督は同じ手を使おうとせず、現在の場に留まろうとはしない。次作ではまた新たな表現方法を試みて観客を驚かせ、従来のファンを半ば失望させるのではないだろうか
だからといって、押井監督の模索をファンに対する裏切りなどと非難するつもりはない。新たな表現方法を希求して止まず、表現の革新を試み続ける押井監督への期待は揺るがないのである
「イノセンス」以降、我々はどこへ向うのか。押井監督の目指す先では、アニメーションという表現形式が新たな表現手段と融合し、まったく別な形態を示すのかもしれない。アニメーションの終焉を我々は目撃するのかもしれない
確かなのは、作者の示す作品に勇気をもって立ち向かい受けとめる者だけが、作者とともに新たな表現の地平に立てる、ということだ
ならばその地平に自分も立ちたいと思う
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