フロイトは英雄だったのか?

講談社現代新書から出ている鈴木晶の「フロイト以降」は、精神分析の前史から

フロイトやユング、現代思想までの幅広い分野をコンパクトにまとめた入門書で

す。新書という制約がある中で、よくもこれだけの情報を詰め込んだと感心する

ほどの内容です

不満というわけではありませんが、80ページ以降に書かれているフロイト英雄

神話について思うところがあり、取り上げました

フロイトが当時の学会や社会の偏見に敢然と立ち向かい、精神分析学の樹立

のためいかに孤軍奮闘したか、という英雄譚を弟子たちが流布して回ったので

あり、史実よりも誇張され脚色されていると鈴木晶は指摘します

事実そのとおりなのですが、そこで「なぜ?」と考える必要があります

なぜなら精神分析は人の行為について「なぜ?」と問い、意味を探求するものだ

からです

ヘーゲルは「精神現象学」で、相互承認という考え方を提示しています。己自身

の存在というものは他者から認められてこそその存在を確認できるもので、他

者の存在をまず認め受け入れる必要があります。こうした自己と他者を互いに

認め合う形が人間関係を形成するわけです

こうした考えをコジェーヴ「ヘーゲル読解入門」で、「人間の抱く欲望は他者の欲

望である」と説明します(まだ未読なので、ここは他の人からの受け売りです)

話をフロイトとその弟子たちに置き換えると、「フロイトの弟子たちが抱く欲望は

フロイトの欲望である」と言えるのです

つまりフロイトは精神分析の創始者として歴史の中で英雄のごとく語り伝えられ

る存在になりたかったのであり、フロイトの弟子だちは師をそのような人物だと

繰り返し語ったわけです。そしてフロイトの英雄神話を語ることで、その弟子で

ある自分の存在が承認されるよう求めたのです

実際、フロイトは弟子たちの前で英雄のごとく振る舞ったのでしょうし、そう印象

づけたかったのです

そして「フロイトの後継者は自分だ」と名乗ったラカンもまた、弟子たちの前で英

雄のごとくふるまい、伝説の人物として語られることを望んだのです

このような振る舞いが良いとか悪いとかいう話ではなく、人の行動原理として普

遍に存在するものにすぎません

松下幸之助や本田宗一郎といった伝説の経営者もまた、その弟子たちによって

英雄伝説が語り継がれてきたように


フロイト以後 (講談社現代新書)
講談社
鈴木 晶

ユーザレビュー:
意外と軽妙な文体の鈴 ...
タイトルはフロイト以 ...
かなりわかりやすく、 ...
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