なぜ人を殺してはいけないか 3

1997年11月30日、朝日新聞に大江健三郎の文「誇り、ユーモア、想像力」が掲載されました
大江は筑紫哲也のテレビ番組で、高校生が「なぜ人を殺してはいけないのかわからない」と発言したことに触れ、「私はむしろ、この質問に問題があるとおもう 。まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ。なぜなら、性格の良しあしとか、頭の鋭さとかとは無関係に、子供は幼いなりに固有の誇りを持っているから」と書いています
大江は質問を発した高校生の中に、「問いただして答えられない大人を見下すような悪意」を感じ取ったのではないでしょうか
素朴な疑問を装いつつ、さりげなく難問をぶつけて大人をあざ笑う高校生
質問を発した高校生の真意は不明なので分かりませんが、大江が高校生にそうしたあざとさを見たのは、大江自身にも過去にはそうしたあざとさがあり、その問題に敏感だったからなのだろうと推測します
まあ、早熟なこどもというのは大概そうしたあざとさを持ち、大人を見下すような言動をして顰蹙を買うわけで、それ自体特に問題だとは思いません
大江は高校生の質問する姿に過去の自分を見たような気がして嫌悪感に駆り立てられ、過剰な反応をしたわけです
もっとも、そうした過剰な反応をするのは大江が常日頃から反戦や平和、人の尊厳について彼なりの考えを語り続けているからですが
ところがこうした大江健三郎の態度(疑問を提起することすら悪だと断定する態度)に噛みついたのが永井均です
永井は大学教授であり、教育者としての立場をわきまえていますからこうした不躾な質問には慣れていたのでしょうし、疑問を提起するのが悪だとは考えな立場です
永井は講談社学術新書「これがニーチェだ」の中で大江発言を鋭く批判します
大江と永井、どちらに分があるのかを考えるのはあまり有益ではありません。双方の立ち位置が異なるためですし、大江の世界観や価値観と永井のそれがまったく別だからです
「なぜ人を殺してはいけないか」論争の中では、さまざまな哲学者、社会学者、文学者らの発言・人を殺してはいけない理由を並べ、誰の発言が一番正しいか、という比較もされたわけですが、これも無益な行為だったと思います
一番正しい答え、自分が納得できる答えとは、人ぞれぞれに異なるからです
己の人生観や価値観にしっくりくる答えを人は求めるわけで、選択する答えはまちまちになります
つまり誰をも納得させる「一番正しい答え」などどこにも存在しないのです
自分も高校生の頃は大人を見下した、生意気であざといこどもでしたから、当時の自分を想定して次のように言うでしょう
「ここでどんな答えを提示しても、君は絶対に納得しないでしょう。この問いには誰をも納得させられる絶対に正しい答えなどないからです。もし答えを見つけたいなら君自身が探すべきです。それ以外に君が納得できる答えを見つける方法はありません」

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講談社
永井 均

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